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京都・糺の森

今日は、京都の歴史に触れて、「京都・糺の森」についてお話しさせて頂きます。


『糺の森』
 京都市左京区の下鴨神社境内に、広さ3万6千坪の「糺の森」があります。
 その昔、150坪にも及んでいたとされる「糺の森」には、ケアキ、エノキ、ムクノキなどの広葉樹が自生。
 下鴨神社の社殿は、その糺の森の最北に鎮座されています。
 森の中には、瀬見の小川や奈良の小川など、四季折々の美を醸し出し、人々の心をとらえており、奈良・平安時代より数々の詩歌、物語にも歌われてきております。


『元糺の森』
 京都市右京区に別名、蚕の社と呼ばれる、木嶋坐天照御魂神社があります。
 秦氏ゆかりの社とも言われ、日本では珍しい三柱鳥居があります。
 古くは湧水が湧いていた元糺の池は禊の場所(ユダヤ洗礼の池)とも言われ、元糺の森とともに、古き歴史を醸し出す地となっております。


『糺の森とユダヤ』
 元糺の森が有った「蚕の社」は古代ユダヤとの関わりが深い、「三柱鳥居」「糺の池(ユダヤ洗礼池)」が鎮座されていることから、この地は古代ユダヤとの関わりが非常に強かったと言えます。
 元糺の森=蚕の社、糺の森=下鴨神社は、果たして古代ユダヤとどんな関わりが有ったのでしょうか。
 関心が深まるところです。。。
 元来、蚕の社が鎮座される京都市右京区太秦は、秦氏ゆかりの地であり、秦氏が太秦を中心として養蚕、金工、木工、織物、芸などを各地に普及させていった拠点でもあります。


『糺の森の意味は』
 「糺」とは、寄せ集めると意味されます。
 古代人は、なぜこの地に、この名称の森や池を作り、何を寄せ集めたのか?
 古代ユダヤからの歴史とルーツを探り、この地の意味するものが理解出来れば、京都の歴史はもっと面白く成る筈です。


『蚕の社から下鴨神社へ』
 糺の森は、これまで述べています様に、蚕の社から下鴨神社へ移行されています。
 いつの時代に、どんな理由で移されたのか、非常に興味が湧くところです。


詳しくは、「中山総研「経済・文化セミナー」でお話しさせて頂きましょう。
一緒に考えましょう。